二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

書籍/御伽草子 二十四孝・3 丁蘭

亡くなった親の像を生きている人のように大切に敬った丁蘭。

国立国会図書館デジタルコレクションより

丁蘭

刻木為父母 形容在日新
寄言諸子姪 聞早孝其親
丁蘭は。河内の野王と云所の人也。
十五のとし母にをくれ。永わかれをかなしみ。
母のかたちを木像につくり。いける人につかへぬるごとくせり。
丁蘭がつま。ある夜のことなるに。火をもつて木像のおもてをこがしたれば。
かさのごとくにはれ出。うみちながれて。二日を過しぬれば。つまのかしらの
髪が。刀にてきりたる様になりて落たる程に。おどろひてわびことをする間。
丁蘭もきどくに思ひ。もくざうを大道へうつしをき。つまに三年わびことを
させたれば。一夜の内に雨かぜのをとして。木像はみづから内へ帰たる也。
それよりしてかりそめのことをも。木像のけしきをうかがひたるとなり。
かやうにふしきなる事のあるほどに。かうかうをなしたるは。
たぐひすくなき事なるべし

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丁蘭の妻は、木像に悪さしてちょいと焦がしたところバチが当たり、3年も懺悔させられました。

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呪いの人形のようなお話ですね。

 

イヤイヤお茶を運ぶ奥さん。

 

雨引観音の丁蘭。従順じゃない奥さんは省略。

書籍/御伽草子 二十四孝・2 漢文帝

大舜の次は漢文帝。

国立国会図書館デジタルコレクションより

漢文帝

仁孝臨天下 巍々冠百王
漢廷事賢母 湯薬必親嘗 

漢の文帝は。漢の高祖の御子なり。
いとけなき御名をば。恒(ごう)とぞ申し侍りき。
母 薄(はく)太后に孝行也。
よろづの食事をまいらせらるる時は。
まづみつからきこしめしこころみ給へり。
きやうだいもあまたましましけれども。
此みかどほど。仁義ををこなひ孝行なるはなかりける。
此故に。陳平周勃などいひける。臣下達 王になしまいらせたり。
それより漢の文帝と申し侍りき。
然に孝行の道は。上一人より下(しも)万民まで。
あるべき事なりとしるといへども。身にをこなひ。
心に思ひ入ことはなりがたきを。
かたじけなくも四万余州の天子の御身として。
かくのごときの御ことわざは。たつとかりし御こころざしとぞ。
さる程に。世もゆたかに たみもやすく すみけるとなり

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飯綱神社の漢文帝。薄太后の手つきが似てる~。

 

書籍/御伽草子 二十四孝・1 大舜

トップは大舜。

大舜

隊々耕春象 紛々耘草禽
嗣尭登宝位 孝感動天心
大舜はいたつて かうかう(孝行)なる人なり。
ちちの名は。こそう(瞽䏂)といへる。
一たん(段) かたくなにして。はは(母)は かだましき人なり。
おとと(弟)は おほひに おごりて。いたづら人なり。
しかれども大舜は。ひたすら孝行をいたせり。
ある時歴山と云所に。耕作しけるに。かれが孝行をかんじて。
大象がきたつて。田をたかやし。
又鳥飛きたつて田の草をくさきり。
かうさくのたすけをなしたるなり。
扨其時天下の御あるじをば。尭王と名づけ奉る。ひめぎみまします。
あねをば。蛾皇と申し。いもとは女英と申し侍べり。
尭王すなはち舜の孝行なることをきこしめしをよばれ(及ばれ)。
御むすめを后にそなへ。終に天下をゆづり給へり。
これひとへに孝行のふかきこころよりおこれり

かたくな・・・偏屈。頑固。
かだましき・・・心がひねくれている。ねじけている。悪賢い。
いたづら人・・・役に立たない者。怠け者。

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けなげな大舜。鍬は肩に預けてます。

 

象に皺が多いです。高齢の象かしら。小鳥もお手伝いに来ました。

千手院観音堂の大舜。鍬をかついでます。

書籍/御伽草子 第13冊 (二十四孝)

さて明日からは国立国会図書館デジタルコレクションから「御伽草子 第13冊 (二十四孝)」をご紹介していきます。

岩波文庫御伽草子」の解説には、”郭居敬の「全相二十四孝詩選」に基づいて和訳を加え、草子化したもの” ”二十四孝の代表作として後代にも大きな影響を与えた”と書かれています。

花迺家文庫(花廼家文庫)の押印。

国立国会図書館デジタルコレクションの説明には

「室町物語。異国物、孝行譚。中国古代の孝子の事蹟を24話に纏めて
各1図を添えたもの。絵巻、奈良絵本、屏風絵などもあるが、
近世初期の嵯峨本を始め多くの版本が行われた。 当館本は、横本の
書形で23編の作品を組で版行したいわゆるお伽草紙の第13編であるが、
最終巻に大坂の書肆渋川清右衛門の名がないので、後摺り本と思われる。
内容は、大舜・孟宗・王祥・老莱子・唐夫人・楊香・董永・郭巨・漢文帝
・丁蘭・閔子騫・曽参・姜詩・黄香・王裒・朱寿昌・剡子・蔡順・庾金婁
呉猛・張孝・張礼・田真・田広・田慶・山谷・陸績の27名24話。
二十四孝の話は日本文化の各方面に深く浸透している。(岡雅彦)」

とありました。

                       国立国会図書館デジタルコレクションより

 

版元・渋川清右衛門の初版「御伽草子」は(1661~1672)に出版されたそうです。これはその後刷りということですね。データに年号は記載されていませんでした。

成田市 滑河観音・24 庾 黔婁 (完)

さていよいよラストになります。建物内側、中央には「観世音」の額が掛けられています。

 

見上げると、観世音の額の奥に、蟇股の左右部分が見えます。

 

額の左側から蟇股を覗くと、王裒が見えます。

 

額の右側から見上げると二人の人物が見えます。右に少年、その左に成人男性。男性は首が破損しているように思えます。

子どもは両手で何か捧げ持っているようです。

これは庾 黔婁だとは思うのですが、庾 黔婁なら祭壇があるはずですね。

二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより

飯綱神社の庾黔婁。

 

燭台や香炉などの置かれた祭壇があれば庾黔婁確定なんですが、額の陰でよく見えない。私のポンコツ写真ではなんだかよくわからない。

ここに燭台っぽいものがあるような気がするんですけどねー。気がするけれど、この写真で「確定~」なんて言ったら非難の嵐を受けそう。ちょっと額を外していただければすぐわかるんですが。

 

2024.04.15追記

龍元さんのブログで、庾黔婁の祭壇と燭台がよくわかる画像を載せていただけました。

庾黔婁ということがはっきりしたので、タイトルの「24 庾 黔婁(たぶん)」の「たぶん」は外しました。

 

こちらは雨引観音の庾黔婁。多分滑河観音もこういう感じの彫刻ではないかと。

 

上田市妙見寺の庾黔婁。

 

王裒は画面にスペースがあってもいつも一人ですよね。死んだ母親を雷から守るための墓参りなんて誰も付き合ってくれませんよね~。

一応これまでの王裒の記事、30件ちょっとを全部確認しましたが彫刻でも本の挿絵でも、王裒と雷神以外の誰かがいた作品はありませんでした。

 

こちらは父の病気平癒を星に祈る庾 黔婁。童子もお手伝い。

御伽草子 国立国会図書館デジタルコレクションより

 

滑河観音の蟇股は外側に20か所、内側に3か所ありました。23か所に二十四孝。蟇股が一つ足りなくなりますね。

              ↑一部写真が間違っていたので修正しました(4/16)            

内側の中央蟇股のみ王裒と庾 黔婁の二つを織り込んで、全部で二十四孝にしたものと思われます。

 

ーーー 成田市 滑河観音の二十四彫刻 終 ーーー

成田市 滑河観音・23 大舜

滑河観音の本堂。

本堂の階段を上り、まず見上げる一番良い位置には額があります。中央に白っぽい「滑河山」の扁額。その右側には坂東二十八番御詠歌の額。

この滑河山の額の後ろにも二十四孝の彫刻が隠れています。センター位置なのに、すこぶる見にくい場所に大舜が。

 

ほとんどの人が気づかない、舜の笑顔。

舜の左側の丸っこいのは象ですね。破損していますが象の上と右には鳥がいます。

象の顔はどこかな~。

 

舜も日の目を見たいでしょうね。「滑河山」の額を左にずらしてもらうわけにはいかないかなあと思っているかも。

滑河山の額の右側には御詠歌の額があるので、大舜の彫刻の右側部分はほぼ見えません。蟇股の右端がちらっと見えるくらいです。