二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

童子教・5舜子(大舜)

舜子養盲父 涕泣開両眼
”舜子盲父を養ひ 涕泣すれば両眼を開く”

孟子、離婁(りろう/「孟子」巻第八、離婁章句)の図解に舜の父は目はあり、好悪(よしあし)をわかたざるゆへに時の人瞽叟(こそう)と名付くとあり。又小説家には舜の父実に瞽(めくら)なり。舜これを舐(ねぶり)霍然(カクゼン/意味・いきなり)として開くと、この二説あり。本文にはのちの義をとりてしるせり。孝子伝ならびに史記を按ずるに舜の姓は姚(よう)字をば重華といへり。重華母に別れて父の瞽叟のちの妻を娶り象(しょう)といふ子をまふく。母はかたくなに象おごれり。舜には孝行あれども後の母悪心をもて舜を殺さんと瞽叟に讒言してはかりごとをめくらし舜に倉の屋根を葺かせけり。舜その心をさとりて手にふたつの笠を持ちて倉にのぼる。瞽叟下より火を放って倉を焼く。舜二つの笠を開きて飛び降りけり。瞽叟その死せざるをみてまた舜をして井を掘らしむ。これ舜を埋め殺さんためなり。隣の人その心を知り舜に告げて他国へ逃げよといふに、舜がいはく我ただ父母にしたがふて死して孝をなすべし。走りて(逃げて)不孝をなすべからずといへり。隣の人その心を憐れみて舜に銀銭五百文を与ふ。その明日井を掘るときに舜この銭を掘りあぐる土にまじへて上ぐる。父母大きに喜びて欲心に万事を忘れたり。そのひまに隣の家の井へ逃げ穴を掘りて逃れ出でて歴山の麓に耕してゐたり。歳々に三百石の米を納む。そののち父の瞽叟は盲(めしひ)となり母は聾(耳しひ)、弟は唖(おし)となり貧困にしてまた天火(落雷によっておこる火災)にあふて家を焼く。舜は継母をみるに薪を売りて飢寒なるていなりしかば舜悲しみて食物を与へ薪を買ふに値をましてその米の袋の中へ銭を入れてかへらしむ。かくのごとくすることたびたびなり。瞽叟怪しみてこれもし我が子の舜にあらじやと手を妻にひかれて市に出で、つゐに舜に会ふて名乗りあひ父子相抱き悲哭哀傷(ひこくあいしょう)ちまたにみつ。市の人これを見て悲嘆せずといふことなし。舜手をもって父の目を撫でて天にあふひでかなしむにたちまち両目開け母の耳また音を聴き、弟の唖よくものいふようになれり。この孝順四海に聞こふ。尭帝その聡明を聞きて天子の位を譲りたまへり。舜その位にあること八十二載也。

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この両親は舜を焼き殺そうとし、それに失敗したら次は舜に井戸掘りを命じておいて、埋めて殺そうとします。
その企みを知った隣人は舜に逃げるように勧めますが、舜は親に逆らうことを拒否。哀れに思った隣人は舜にお金を渡します。舜は井戸を掘る際にそのお金を土に混ぜて掘り起こし、欲の深い両親がウハウハと大喜びしている隙に舜は逃げ出します。逃げ出した先が歴山で、舜は農耕生活を始め、軌道に乗ります。
一方、非道な両親と弟は舜が去った後過酷な状況に置かれます。それを知った舜はこっそり援助をして、やがて感動の対面につながる・・・という、なかなかとんでもないお話です。