二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

習志野市 丹生神社

2018年9月26日参拝。京成線谷津駅から徒歩約10分の丹生(にう)神社。同日午前中に八剱神社の彫刻を眺めていた時、境内にいらっしゃった男性に「谷津の丹生神社にも彫刻があるよ」と教えていただき、さっそく谷津に行きました。 こういう情報は大変ありがた…

習志野市八剱神社

2018年9月26日参拝。千葉県習志野市鷺沼の神社。 本殿にまわると彫刻が見えます。二十四孝の彫刻は郭巨・楊香・孟宗です。

八千代市飯綱神社の彫刻24点

2016年4月24日に訪れた、千葉県八千代市の飯綱神社。 八千代市指定文化財、飯綱神社の玉垣彫物。題材は二十四孝。 左「曽參」と右「朱壽昌」。 左側の曽參のお母さんは指を噛んでいます(おまじない)。曽子の後ろには山で採ってきた薪。 右の朱壽昌は生き別…

千葉県白井市 富塚鳥見神社

千葉県白井市、富塚鳥見神社。二十四孝の彫刻は郭巨、唐夫人、楊香の3点です。 本殿は小ぶりですが彫刻はびっしりと。 とりあえず天井の蜂の巣が気になります。 まん丸な蜂の巣。古い巣なんでしょうか、蜂の姿はありませんでした。2016年4月に参拝したとき…

安曇野市有明山神社

有明山神社です。裕明門は見事な彫刻で溢れています。 花や動物の描かれた格天井。その周囲に二十四孝の彫刻4点があります。

初頴日記故事・24 黄庭堅(黄山谷)

・挿絵部分が欠落していました。 宋の黄庭堅は字を魯直といへり 山谷と號せり 元祐とは宋の哲宗(てつそう)皇帝の時の年号 黄山谷大史の官となり身たつとくなりたれども うまれつき母に孝ありて 身のたつときにほこらず母につかへて心の誠をつくせり 夕暮れ…

初頴日記故事・23 孟宗

晋の時孟宗といひし人 字を恭武といへり 後に名を仁とかへたり おさなきより父なくみなしごとなりてあり 母としをいて やまひにおかされけるが 冬月笋を煮てくらはんとてのぞむ 孟宗笋を得るにせんすべなし すなはち竹の林にわけ入て 竹を手にいだきて泣ける…

初頴日記故事・22 丁蘭

漢の代の丁蘭はおさなき時父母にわかれて つかふる事をまつたくせず つねに父母のわが身をうみて いたはりそだてたまひし恩を思ひて 父母の木像をつくり これにつかふる事 生ける人につかふるごとくせり 丁蘭が妻ひさしきになれて 木ぞうをうやまはず 針をも…

初頴日記故事・21 王ほう

晋の王ホウは字を偉元といへり 母の存生のころ うまれつきかみなりをきらひたり 母死して山林の中にほうふりて後 風雨にあひ 雷の声を聞ごとに とくはしりて 墓所にゆき ひざまづき拝をなし 泣て告ていへるは ホウここにおれり母人おそれたまふ事なかれとい…

初頴日記故事・20 姜詩

後漢の代に姜詩といへる人 母に孝あり 妻はホウ盛といふ人の娘也 この妻姑につかへてよくつくしめり 母うまれつき江水をのまんことをこのめり 妻六七里の遠きにいたりて汲て母に与ふ 母魚の膾をこのむ 夫婦つねにつとめて なますをつくり 母にそなへ 隣家の…

初頴日記故事・19 黄香

後漢の時黄香は字を文強といへり 九歳の時母を失ひて 恋したふ事いたつて しんせつなり 同郷の人その孝なるをほめしとなり 黄香身をくるしめつとめて父につかふ 夏のあつきには父のねと(ろ?)をあふぎてすずしからしめしと也 簟は竹にてあめるむしろなり …

初頴日記故事・18 蔡順

漢の世に蔡順といへる人は字を君仲といへり 狐とは幼き時父にわかれたるをいふなり 母につかへ孝ありしとぞ 王莽といへるもの天下を乱せし時 歳荒と飢饉にて食物なし 蔡順椹(桑の実)をひろひて母をやしなふ 異器とは いれものを二つもちたるなり 赤眉の賊…

初頴日記故事・17 老莱子

周の世に老莱子といへる人は楚国の人なり いたつて親によくつかへたりと也 二人の親に食をすすむるに 甘脆(かんぜい)の物をゑりてたてまつりしとなり 甘は甜なりとて口にうまき味有もの 脆とはやはらかなる食物をいふ 老莱子年七十になりても二親のまへに…

初頴日記故事・16 ゆ黔婁

南斉の時ゆ黔婁といへる人は せん陵県といへる所の奉行になり はじめてかの縣に到り 十日もたたざるに にはかに むなさはぎして身より汗を出しければ そくじに官を捨てて 我が家にかへりぬ時に ゆ黔婁が父大きに悩む事 二日になりたり 医者のいへるは病のよ…

初頴日記故事・15 朱壽昌

宋は国の名 朱は姓 壽昌は名 うみの母劉氏は父の妾なり 本妻に妬まれ 朱家を出て外に嫁したり 壽昌七歳の時母にわかれてより 五十年母にあはず 神宗といへるは 帝の諡(をくりな)なり この時官位を捨てて秦の国に行き 母をたつねんとするに 在ものとちかつ…

初頴日記故事・14 楊香

晋の楊香は十四歳の時 常に父の豊(ほう)といへる人とともに 田にゆきて 粟をとる時に 思ひよらず虎きたりて父をくはへたり 楊香おどろきぬれど 手に小刀をだにもたず ただ父の大切なることを思ひ わが身ある事を思はず をどりあがりて 虎のかしらにしがみ…

初頴日記故事・13 郭巨

後漢の代 郭巨は貧しくして三つになれる子有 郭巨が母 常におのれが食をへらし孫にくはす 郭巨これを見て妻にいへるは 家まづしくて母によく 食をそなふるこ(と) あたはず その上に我子 食をわかちくらへば いよいよ 母の食たらずなりゆく也 子はふたたび…

初頴日記故事・12 王祥

晋の代に王祥といへるは生みの母に早く をくれ(後れ)たり のちの母朱氏 王祥をになさけあらず 王祥が父のまへにて たびたび 讒言をかまへたれば これより父にも愛をうしなひ にくまれたり かの継母 ある時なま魚をくはむといふ時に 冬月寒くして こほりと…

初頴日記故事・11 呉猛

晋の代に呉猛といへる人八歳のころより親に孝あり 家もとより貧しかりしとなり 榻(とう)とは臥床のせまきを云なり ねところの台なり 帷帳とは「かや」の類なり 貧なればさるものなし つねに夏の夜は蚊おほく集まりきたるを 呉猛これをおはず ほしいままに …

初頴日記故事・10 唐夫人

唐の時崔山南といへる人のひおはに長孫夫人といへるは 年たけて歯なかりしとなり 崔山南が祖母の唐夫人は長孫夫人のためにはよめなり この唐夫人朝ごとに髪ゆひ面を洗て長孫夫人の居間に入 しうとめ長孫婦人に乳を飲ませしとなり 長孫夫人歯なくて数年の間 …

初頴日記故事・9 陸績

後漢の末に陸績 字は公紀といへる人 六歳の時九江郡の 袁術といへるものの家にいたりけるに 袁術橘を出してもてなす 陸績橘ふたつをふところに入けるが 帰らんとして礼をなさんとする時 ふところの橘地に落ちたり 袁術これを見て陸郎は人の客となりて橘を懐…

初頴日記故事・8 江革

後漢の代に江革 字は次翁といへり 若くて父をうしなひ ひとり母とともに 住居たるが 世の中乱れければ 母を背に負ひて 難を逃がるるに たびたび賊にあひたり その中に江革をおどし賊の手下となし つれゆかんといひしを 革 賊に向かひ 老母おはす事を告げ 泣…

初頴日記故事・7 えん子

周の代にえん氏といひし人 名字をしらず うまれつき孝あり 父母老て眼をわづらふ事あり 鹿の乳は眼をいやす薬なりとてこれを飲まん事をねがふ えん子鹿乳をとらんと 鹿の皮を身にまとひ山奥に入て むらがる鹿の中に入り 鹿の乳をとりて 父母にたてまつるとな…

初頴日記故事・6 董永

漢の代の董永字は延年といへり 貧しき中にて父死しければ 身を売りて身のしろの銭にて 棺槨を買ひ 父の葬をなし それより主人のもとへ行 償工と人夫てまの役を償ひにゆかんとする道にて 一人の女にあひたり この女董永が妻とならんといひしゆへ つれだちて主…