世田谷区 岩﨑家廟堂
ラストは王祥。 王祥といえば大抵氷の上で、この体勢。全体に白っぽく霞がかかっているように見えます。制作された明治43年というと西暦1910年。100年前はきっと氷のひび割れや周囲の風景も鮮明だったんでしょうね。こういうレリーフは磨いちゃだめなのかな…
最下段左側は朱壽昌。 布の柔らかさを感じるレリーフです。 おそらく右上に人物名が書かれていると思うのですが確認できません。
下から二段目の右側は郭巨。いつもセンターポジションにいることが多い郭巨にしては、ちょっと目立たない場所にいますね。 気分的には3の姜詩と入れ替えたくなるわね。 天に向かって手を合わせる前の、釜を掘り当てた直後っていう感じです。 扉の輪の陰で見…
9番目は唐夫人。下から二段目の左側です。 歯のない姑に乳を飲ませる、二十四孝ではお馴染みのシーン。「唐夫人」はこれ以外に表現のしようがなさそうです。唐夫人ご本人は異国まで自分の彫刻が蔓延した事態を光栄に思っているかどうか。 作品名は「唐夫人な…
下から三段目の右側は老莱子。 ノリノリで踊る老莱子。製作者の岡崎雪聲さんは、親の前で幼児のフリして踊る妙なおじさんのことをどう思ってたのかしら。 右上には「老莱子なんとか」。
今日は下から三段目の左側。仲由です。 米俵を背負って山道を行く仲由。曽参の薪よりさらに重そう。中国では米俵を使わないようですが、布の袋を背負っていたら日本人は中身がお米だと思わないかも。俵ならすぐお米って伝わりますね。 「子路なんとか」と読…
上から三段目の右側は曽参です。 薪たくさん。重そう。 6番目の曽参まで書き進めてきて初めて、レリーフの隅に人物名が彫られていることに気づきました。「曽参」の下にもう一文字ありますが読めません。 慌ててさかのぼって3姜詩から5閔子騫まで名前の部分…
上から三段目、左側は閔子騫ですね。 先妻の息子である閔子騫にひどい仕打ちをしていた継母を、杖で叩いて追い出そうとする父親。それを思いとどまらせようと説得する閔子騫。母と一緒に追い出される寸前でも玩具で遊んでいる呑気な弟もいます。背景はうっす…
上から二段目の右側は孟宗です。 タケノコがほしくて泣いてます。 ちょっと薄くてわかりにくいですが、タケノコはえてます。4本くらいあるかな。 これだけあればお母さんも満足ですね。 右上に「孟宗なんとか」と彫られているのが見えますね。
ハーイ今日は上から二段目の左側、「姜詩」でございます。 姑のためにせっせと水を汲んで運んだ献身的な奥さん。でも有名なのは夫の姜詩のほう。不公平だわね。 ↓この挿絵は人物の配置がレリーフと似てますね。鯉が二匹、水面から顔を出してます。 倭漢廿四…
二つ目は最上段の右側です。こちらも暗いです。 象と一緒に畑仕事をする大舜。ちょっと一休み中。 曇りの日のほうが見やすい写真が撮れるかな。どこかに鳥がいると思うのだけれど、この写真では確認できませんね。
まずは最上段左側から。暗くてよく見えません。 補正してみましたがまだ暗いです。病床の女性にお茶かお湯だかを運ぶ人。よくわからないけど、漢文帝ですよねー。 部屋の作りや文帝の服の感じなど、この絵と似てますね。文帝の後ろに控えている、侍女っぽい…
世田谷区の岡本静嘉堂緑地を訪れました。先日土曜日に行ったらこの門は閉まってました。土日は休園のようです。今日は木曜日なので開いてました。ちゃんと開園日時を確認してから行きましょうねー、自分。 緑地内にある岩﨑家廟堂のレリーフを見に行きました…