二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

初頴日記故事・5 仲由

子路は孔子の弟子なり 貧しければ藜かく(れいかく)を食ふと也 藜はあかさといへる草 「かく」は豆の葉也 親をやしなふが為に 米を百里の遠き所にせをひて行なり 親死して後 南の方楚の国の方にいたる さて身たつとくなりたれば 従車百乗と馬四疋をかけたる…

初頴日記故事・4 閔損

周は国の名 閔は姓 損は名 孔子の弟子なり をさなくて母におくれたる 父 後妻をむかへた(り?)しが 二人の子をうみたる 後妻おのれが子には わたの入たる衣を着せ 子騫をにくみて衣に わたを入ず 葦の花を入て着せたり 父子騫に云つけて車を御せしむ 御と…

初頴日記故事・3 曽參

周は国の名 曽は姓 參は名なり 曽子孝のきこへあり 孔子孝の道を曽子にとききかせたまへる事 孝経にあり 曽子薪をとらんとて山へ行きたるあとへ客きたりけるを母一人ありて客をあしらふにせんかたなく(て?) 参が帰るをのぞめども来らず 母みづから指を噛…

初頴日記故事・2 漢文帝

文帝は漢の高祖の第三の御子なり 名は恒 位につき給はさる前に諸(侯?)となり 代王に封せらる 生母とは文帝のうみの母なり 薄氏なり 帝の御母を太后といふ 文帝母太后につかへ給ふ事 怠らせ給ふ事なし 薄太后悩み給ふ事 三年の久しきにいたれるを 文帝目を合…

初頴日記故事・1 大舜

虞舜国の名 舜とは諡(おくりな)なり。 御名は重華と申奉る 瞽䏂は舜の父なり 瞽䏂とは目なきものをいふ 舜の父目ありながら よしあしをわかつ事なき故 時の人瞽䏂とよびしなり 性とはうまれつきなり 舜の性 親に孝あり 父頑とは心に道をまもらざるなり 嚚…

初頴日記故事 訓訳全像 二十四孝

明日以降、「初頴日記故事 訓訳全像 二十四孝」をのんびり読んでいきます。

女庭訓・24 江革

江革 行傭供母「行傭(こうよう)して母に供す」 江革はいとけなきとき父に後れ ひとり母のそばにゐて孝行なりける処に 乱にあひ 母を背おほふて 逃げて難を逃れしに 途中にて 盗賊にあひけるが 盗賊革をおびやかしつれてゆかんとしけるに 老母ありしことを …

女庭訓・23 仲由

仲由 為親負米「親のために米を負ふ」 仲由字は子路孔門の高弟なり 家貧して常の産なし 藜かく(れいかく)の食を食す 親あるがゆゑに 故郷を出でず百里の外に米を負ふて あたひをとり 父母のやしなひとす 親没して後 南の楚国につかふ 従車百乗あり 粟を積…

女庭訓・22 黄山谷

黄庭堅 滌親溺器 「みづから溺器(にょうき)を滌(あら)ふ」 山谷は宋の世の詩人なり 今にいたりて詩人の祖師といはるる人なり あまたつかひ人もおほく 又妻もありといへども みづから母の大小便のうつはものを あつかひて けがれたる時は 手づから是をあ…

女庭訓・21 呉猛

呉猛 恣蚊飽血「蚊にほしいまま血を飽かしむ」 呉猛は八歳にして孝ある人也 まづしくしてよろづ 心にたらざりけり されば夏になりけれども 帷帳なし 呉猛みづから思へり 我が衣を脱ぎて親に着せ わが身はあらはにして 蚊にくはせなば 蚊も我身を食はば親を助…

女庭訓・20 陸績

陸績 懐橘遺母「橘を懐にして母に遺(おく)る」 陸績六歳の時袁術といふ人の所へ行き侍り 袁術陸績がために菓子に橘をいだせり 陸績是を三つ取りて袖に入れてかへるとて 袁術に礼をいたすとて たもとよりおとせり 袁術是を見 わどのは幼き人に似あはぬこと…

女庭訓・19 ゆ黔婁

ゆ黔婁 嘗糞憂心 「糞を嘗めて心(こころ)を憂ふ」 ゆ黔婁は南斉の時の人也 せん陵といふところの官人に成て すなはちせん陵県へ至りけるが いまだ十日にもならざるに 忽ちに胸騒ぎしける程に 父の病み給ふかと思ひ 官を捨てて帰りければ 案のごとく 大に病…

女庭訓・18 蔡順

蔡順 拾椹供親「椹(桑の実)を拾ひ 親(しん)に供(す)」 蔡順は汝南といふ所の人也 王莽(おうもう)といへる人の時分の末に 天下大に乱れ又飢饉して 食事乏しければ 母のために桑の実を 拾ひけるが 熟したると熟せざるとを分けて居たり 此の時世の乱れに…

女庭訓・17 えん子

鹿乳奉親 「鹿乳(ろくにゅう)親(おや)に奉る」 えん子は親のために命を捨てんとしけるほどの孝行なる人也 その故は父母老いて共に両眼をわづらひし程に 目の薬なりとて鹿の乳をのぞめり えん子元より孝なれば 親の望みに従ひ 鹿の皮を着て 数多むらがり…

女庭訓・16 朱壽昌

朱寿昌 棄官尋母「官を棄てて 母を尋ぬ」 朱壽昌は七歳のとき父其の母を去りけり さればその母をよく知らざりければ このことを嘆き侍れども つひに合はざること五十年におよべり あるとき壽昌官人なりといへども 官禄をも捨て 秦といふ所へ尋ねに行きけると…

女庭訓・15 郭巨

郭巨 為母埋子「母のために 子を埋づむ」 郭巨は河内と云所の人也 家貧して母を養へり 妻一子をうんで三歳なれり 郭巨が老母かの孫をいつくしみ 我食を分けあたへける あるとき郭巨妻に語るやうは 貧しければ母の食事さへ不足と思ひしに 其の内を分けて孫に…

女庭訓・14 王ほう

王ほう 聞雷泣墓「雷(らい)を聞いて 墓に泣く」 王ほうは営陰という所の人也 父の王義不慮のことによりて帝王より法度におこなはれ死にけるを恨みて 一期の間その方へは向かひて座せざりし也 父の墓所にゐて膝まづき 礼拝して柏の木にとりつきて 泣き悲し…

女庭訓・13 董永

董永 売身葬父「身を売って父を葬(をさ)む」 董永はいとけなき時に母に離れ 家貧にして常に人に雇はれ農作をし 賃を取りて日を送りたり 父老いて足もたたざれば 小さき車を作り 父を乗せて田のあぜにおいて養ひたり ある時父に遅れて 葬礼を調ひたく思ひ侍…

女庭訓・12 楊香

「虎をとらへて 父を救ふ」 楊香は一人の父をもてり ある時父と共に山中へ行きしに たちまち荒き虎にあへり 楊香父の命を失はんことを怖れて 虎を逐ひさらんとし侍りけれども かなはざるほどに 天の御あはれみを頼みこひねがはくは 我が命を虎に与へ父をたす…

女庭訓・11 唐夫人

唐夫人 乳姑不怠「姑に乳して怠らず」 唐夫人は姑長孫夫人年たけて よろづ食事歯にかなはざれば 常に乳をふくめ或はあさごとに 髪をけづり其外よく仕へて数年養ひ侍り ある時長孫夫人わづらひつきて この度は死せんと思ひ一門一家を集めていへる事は わが嫁…

女庭訓・10 王祥

王祥 臥氷求魚「氷に臥して魚を求む」 王祥いとけなくして母を失へり 父又妻を求め其の名を朱氏といひ侍り 継母の癖なれば父と子の中をあしくいひなして 憎まし侍れども 恨みとせずして継母にもよく孝行をいたしける かようの人なるほどにもこの母冬の寒き折…

女庭訓・9 曽參

曽參 齧指痛心 「指を噛めば心(むね)を痛ましむ」 曽參ある時山中へ薪を取りに行き侍り 母留守にいたりけるに 親しき友来たれり 是にもてなしたくおもへども 曽參はうちにあらず もとより家貧しければ かなはず曽參が帰れかしとて みづから指をかめり 曽參…

女庭訓・8 丁蘭

丁蘭 刻木祀親「木に刻み親(しん)を祀る」 丁蘭は河內(かだい)の野王(やおう)といふ所の人也。十五の年父母に離れ二親に孝を以て養ふことを得ず 父母の姿を木像に刻み 朝暮孝を以て仕ふること生ける人に向かふが如し 丁蘭が隣に張叔といふもの有 常に…

女庭訓・7 孟宗

孟宗 泣竹生笋「竹に泣いて笋(たかんな)を生ず」 孟宗は幼くして父におくれ 一人の母を養へり 母年老いて常に病みいたはり 食の味はひもたびごとかはりければ よしなき物を望めり 冬のことなるに 竹の子をほしく思へり すなはち孟宗竹林に行き もとむると…

女庭訓・6 姜詩

姜詩 湧泉踊鯉「泉湧きて鯉踊る」 姜詩は母に孝行なる人也 母常に江の水を飲みたく思ひ 又なまうをのなますを好めり すなはち姜詩妻にいひつけ 六七里へだてたる江の水を汲ませけり (もろこしは六丁一里也)妻も姑に孝行にて かの水を汲み また生魚を求め …

女庭訓・5 閔子騫

閔子騫 単衣順母「単衣(たんい) 母に順(じゅん)にす」 閔子騫は幼時母むなしくなれり 父また後妻をもとめて二人の子を持てり かの妻わが子を深く愛して継子を憎み 寒き冬も 芦の穂を取って 着るものに入れて着せ侍るゆゑ 身も冷えて 耐えかねたるを見て …

女庭訓・4 黄香

黄香 扇枕温衾「枕を扇ぎ 衾(ふすま)をあたた(む)」 黄香は(あんりゃう)と云所の人なり 九歳のとき母におくれ 父によく仕へ孝行をつくせり さればきはめて夏の暑きをりには 扇の風にて床を涼しめ 枕を冷やして父をいねさせ また冬の寒き時には我が身を…