朱壽昌(しゅじゅしょう)
大舜の左上は朱寿昌。 生き別れの母親を探し、ついに巡り合えた朱寿昌母子。 意外と恰幅の良いお母さんでしたー。
母をたずねて何千里。中国広いから探すの大変そうね。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 朱壽昌(しゆじゆせう)寿昌は宋の世の人 母は七才の時 父にりべつせられて他へ行たり寿昌せいて…
通りから参道に入り、山門を見上げます。蟇股は上に4つ、下に3つありますね。 まず見やすい下の段から見ていきます。 ↑こういう感じで3つ並んでいます。 一番右はこちら。これは仙人ですね。鉄拐仙人かな? 中央の彫刻がこちら。鳥ですね。何の鳥かしら。水…
母親と感動の再会、朱寿昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 七歳生離母 参商五十年一朝相見面 喜気動皇天 朱寿昌(しゆじゆしやう) 朱寿昌は 七さいのとき 父そのははをさりけりさればその母をよくしらざりければ この事をなげきはべれどもついに…
生き別れの母親と50年ぶりの再会を果たした朱寿昌。 ARC古典籍ポータルデータベースより 朱寿昌 宗の天長代(よ)の人也 七才の時父雍州の。守護となりて。ありし時。百姓の。女かたちうつくしきになれて朱寿昌が母を。出せし也。それより五十年が間。母をみ…
妻子を捨てて生みの母に会いに行った朱寿昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱寿昌 七歳生離母 参商五十年一朝相見面 喜気動皇天朱寿昌は。七さいのとき。ちちそのははをさりけり。さればそのははをよくしらざりければ。此ことをなげき侍べれども…
生き別れの母にようやく会うことが出来た朱寿昌。 子どもの肩を借りて、杖をついた老母が家から出てきました。朱寿昌は旅の荷物を脇に置いて、恭しく姿勢を低くしています。 子どもの顔は破損していますね。 「二十四孝諺解」13朱寿昌 ARC古典籍ポータルデー…
生き別れだった母とようやく会うことが出来た朱寿昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱寿昌七才の時父その母を去りて 後の妻を迎へける この人 常に孝行を尽くし それより五十年を経て 父母みまがりてより真の母を尋ねしに いまだ息災にてめぐり…
母を訪ねてはるばると、仕事も捨てて会いに来た朱壽昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱壽昌七歳生離母 參商五十年一朝相見面 喜氣動皇天朱壽昌生七歳 父出其母 母子不相見者五十年 壽昌行四方求之不已与人言輙流涕 熈寧初棄官入秦与家人訣誓 不…
実母と50年ぶりの対面、朱壽昌。 右が朱壽昌、左は王裒。同じ人物デッサンから絵を起こしたのかな。 閔損と陸績もほぼ同じポーズ。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 〇棄官尋母宋朱壽昌。年七歲。生母劉氏。為嫡母所妬。出嫁。母子不…
50年ぶりに母親と再会した朱壽昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱壽昌朱壽昌 棄官尋母 七才の比父新に美女を求て実の母を去り爰に於て悲しみ歎くこと限無く父と後の母に使へ孝行をつくし其後五十年を過て父も後の母も身まかりて官を捨て母の行…
生き分かれた母に会いに行く朱壽昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱壽昌朱壽昌七歳のとき新に父美女を求て朱壽昌の実の母を去たり後数年を経 官を辞し遂に母を尋ぬ ーーー これは仲由かと思いましたが、お米を背負ってないから違いました。50年…
母親に会いにはるばるやってきた朱壽昌。お母さん、こんな細い杖で身体を支えられるんだろうかとちょっと気になります。ポキッといきそう。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより Renouncing Officialdom but Looking Around for His Mother Wh…
幼いころ生き別れになった母親に会いに行った朱壽昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱壽昌七歳生離母 参商五十年一朝相見面 喜気動皇天 朱壽昌は。七歳の時。父。その母を去りけり。されば。その母をよくしらざりければ。この事を嘆き侍れども。…
朱壽昌。ここは一体どこなんでしょう。母親の家の玄関先には見えない。左手は海が広がってるんでしょうか。奥は断崖絶壁? 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 朱壽昌 棄官尋母 宋朱壽昌七歳の比。父新に美女を娶て。壽昌が母を去ける。それより母…
すべてを捨てて生みの母に会いに行った朱壽昌。 画像は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より 内容: ・朱壽昌は七歳のとき両親が離婚。母は家を出され、朱壽昌はその後母親と五十年間会えませんでした。 ・あるとき朱壽昌は仕事も妻子も捨てて母…
笠と荷物を脇に置いて、母と再会する朱壽昌。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 朱壽昌 宋の朱壽昌は天長の代の人なり 父は雍州の守護となる寿昌が母はりう氏のむすめなり 本妻の妬みつよきがゆゑに止ことを得ず寿昌が七才のときこれをのこ…
最下段左側は朱壽昌。 布の柔らかさを感じるレリーフです。 おそらく右上に人物名が書かれていると思うのですが確認できません。
母と感動の再会をする朱壽昌。朱壽昌は細い橋の上。 1819年 葛飾戴斗 二十四孝図会 The British Museum所蔵 朱壽昌 七歳生離母 参商五十年一朝相見面 喜気動皇天 朱壽昌は宋の天長の世の人なり。七才の時父雇州の守護となりし時壽昌が母を去追出せり。夫より…
13番目は朱壽昌。 朱壽昌しゅじゅしゃう朱壽昌は七歳の時 父その母を去りけり さればその母をよくしらざりければ この事を嘆き侍れども 遂に 会はざる事 五十年に及べり ある時 壽昌 官人なりといへども 官禄をも捨て 妻子をも捨て しん(秦)と云ふところへ…
天岩戸伝説の彫刻の上にある二十四孝の彫刻。右の男性は頭が水平方向に割れてしまっています。修復お願いしたいところ。 さてこの彫刻は曾参か朱壽昌か判断に迷います。 家の前に立つ母親は右手を上げて、左手は杖を突いている感じ。指を噛んでいたら確実に…
何十年も生き別れになっていた母親との再会を果たした朱壽昌。 朱壽昌が7つの時に別れたらしいので多少はお互いに顔を覚えてる・・・かなあ?? 息子が立派になって会いにきてくれてお母さんも幸せ。
地位を捨て、産みの親に会いに来た朱壽昌。 旅の荷物。遠くからはるばる来たんでしょうね。 介助されながら門前まで歩いて来て、久しぶりに会う息子の主壽昌を迎える母親。
朱寿昌七才の時 其の父 母を去り新たに美女を迎へしかば 悲しみしか(が?) 父と后(のち)の母に使へ五十年をすぎて 父も後母も死せしに 官を捨て実母を尋ぬ。
朱壽昌。「棄官尋母」・・・官を棄てて 母を尋ぬ。 彫刻や挿絵では家の門前での再会の瞬間が描かれることが多い朱壽昌ですが、これはさらに進んで朱壽昌は老母にすがりついています。幼児のように母に身を寄せ感涙にむせぶ朱壽昌の声が聞こえるようです。母…
朱壽昌。男性の後ろに旅行用の荷物があるので。 ――― 八千戈神社の二十四孝彫刻 終 ―――
朱壽昌。地位を捨て、母のもとへ。感動の親子の対面。 二人の表情は喜びで溢れています。(青いところは、おそらくここに母親の杖があったと思われる部分) 朱壽昌は帽子を取り、姿勢を低くして母を敬う挨拶をしています。
朱壽昌。親子の感動の再会。
左側が朱壽昌。右が黄香。 母親の家を訪れた朱壽昌。・・・家はどこ? 手前に朱壽昌の帽子が置かれています。荷物はなさそうですね。母親の杖は折れてしまったようです。
長い間生き別れていた母と息子の対面シーン。 母親の杖は途中が破損してますね。