ゆ黔婁走る。
画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より
ゆ黔婁 嘗糞憂心
ゆ黔婁は。南齊の時の人なり。出て扇陵といふ所の令となれり。いまだ十日も過ざるに。忽ちむなさわぎしきりにして。身より汗出ければ。これただ事にあらず。故郷の父の病に臥し給ふなるべしと。即日官を棄て。昼夜をわかず。急ぎ帰けるに。果して。父重き疫痢を患ひ。親族集て看病せり。其黔婁が帰る事の甚だ早きを怪むに。黔婁其よしをかたり。父の病重く。命の危からん事をかなしみて。医に其生死を問に。これを知らんと思はば。糞を嘗めて。味苦くば愈べく。甘きは愈べからずといへるに。即これをこころむるに。甘かりけれは。猶々心を苦しめ。夜々北辰に祈りて。己が身を以て代らんと願へるに。さしも必死の症も。漸に愈て。己も恙なかりしとなん
ーーー
胸騒ぎを感じて馬で駆ける、ゆ黔婁。父のもとへ。
病床の父親。医師の診察を受けているところでしょうか。
坂東市・延命院観音堂のゆ黔婁。ゆ黔婁といえば、ほとんどはこのように祭壇を用意して燭台や香炉を乗せ、北斗七星に祈る構図です。
父親の病状が深刻だったので北の星に祈ります。自分の命を削ってでも父を治してほしいと。そして願いは叶い、父親は快復し、ゆ黔婁の健康にも問題は起きませんでした。
文中にもある、「北辰」とは北極星のことだそうですが、彫刻でゆ黔婁が祈る星はよく北斗七星が表現されてます。(↓飯綱神社のゆ黔婁。右上に北斗七星)
祈る場所は崖の上みたいなところが多いですよね。
さて一方中国の書籍のゆ黔婁は、病床の近くで壺の中の便を嘗めたり、父親の部屋の窓の下で天に祈ったりしている場面が多いようです。部屋の中で、病床の横に祭壇をしつらえて祈りを捧げている絵もありました。特に星にはこだわってない感じ。