さていよいよラストになります。建物内側、中央には「観世音」の額が掛けられています。
見上げると、観世音の額の奥に、蟇股の左右部分が見えます。
額の左側から蟇股を覗くと、王裒が見えます。
額の右側から見上げると二人の人物が見えます。右に少年、その左に成人男性。男性は首が破損しているように思えます。
子どもは両手で何か捧げ持っているようです。
これは庾 黔婁だとは思うのですが、庾 黔婁なら祭壇があるはずですね。
二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより
飯綱神社の庾黔婁。
燭台や香炉などの置かれた祭壇があれば庾黔婁確定なんですが、額の陰でよく見えない。私のポンコツ写真ではなんだかよくわからない。
ここに燭台っぽいものがあるような気がするんですけどねー。気がするけれど、この写真で「確定~」なんて言ったら非難の嵐を受けそう。ちょっと額を外していただければすぐわかるんですが。
2024.04.15追記
龍元さんのブログで、庾黔婁の祭壇と燭台がよくわかる画像を載せていただけました。
庾黔婁ということがはっきりしたので、タイトルの「24 庾 黔婁(たぶん)」の「たぶん」は外しました。
こちらは雨引観音の庾黔婁。多分滑河観音もこういう感じの彫刻ではないかと。
上田市妙見寺の庾黔婁。
王裒は画面にスペースがあってもいつも一人ですよね。死んだ母親を雷から守るための墓参りなんて誰も付き合ってくれませんよね~。
一応これまでの王裒の記事、30件ちょっとを全部確認しましたが彫刻でも本の挿絵でも、王裒と雷神以外の誰かがいた作品はありませんでした。
こちらは父の病気平癒を星に祈る庾 黔婁。童子もお手伝い。
滑河観音の蟇股は外側に20か所、内側に3か所ありました。23か所に二十四孝。蟇股が一つ足りなくなりますね。
↑一部写真が間違っていたので修正しました(4/16)
内側の中央蟇股のみ王裒と庾 黔婁の二つを織り込んで、全部で二十四孝にしたものと思われます。