二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

書籍/二十四孝諺解・23 陸績

袖からミカンが転がり落ちた陸績。

ARC古典籍ポータルデータベースより

陸績

呉の国の人なり 六つの年 遠述(袁術)といふ人の本へ。ゆきけるに
菓子に橘を出せり 陸績ひそかに。是をとりて袖にいれて。かへりさまに
とりおとしけり 袁述是をみて。おさなき人に。にあはぬ事なりと。
わらひけれは。りくせき。いふやうあまり。見事に候へは母にあたへんため
なりといひけり 袁述きいて。おさな心に。かやうの事は古今まれなりと。
ほめたり。それより孝行世上にかくれなき也

孝悌皆天性 人間六歳児
袖中懐緑橘 遺母報含飴

孝悌とは。孝の心をいふ也 皆天性とは。かやうにおさなき人の
此心あるべきや とかく。うまれつくといふ心也。天よりうけたる。
気しつならでは。此やうにはあるまじきと云心也。

人間六才の児とは。六才の児といふ事也。人間六才。などにては。
ほんぶの。わざにては。あるまじき也。

袖中緑橘をいだくとは。袖のうちに橘をかくしたる事也 緑橘は
うつくしく。じゆくしたる。たちばなの事也。

母に遺て含飴に報ずとは。がんいは。しよくするといふ儀なり
母に。をくりて食せさせたく思ふと云心也

又此心を聞て遠述かんじけるゆへにそれこそやすき事なりとて。
母のもとへおくりたりといふ心もあり。いとやさしき孝行也
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ミカンが袖から落ちて転がっているところ。拡大しないとわかりにくいですね。社寺彫刻の陸績も大抵ミカンは見にくい位置にあります。

                              ↑彩色するとこんな感じ。

 

千葉県成田市滑河観音の陸績。彫刻が高い位置にあるので、建物の下から普通に撮影すると陸績の前にあるミカンは写りませんでした。(上の写真)

本堂から少し離れた位置で、腕を伸ばしてカメラを高い位置に上げて撮影するとなんとかミカンが入りました。