晋の王ホウは字を偉元といへり 母の存生のころ うまれつきかみなりをきらひたり 母死して山林の中にほうふりて後 風雨にあひ 雷の声を聞ごとに とくはしりて 墓所にゆき ひざまづき拝をなし 泣て告ていへるは ホウここにおれり母人おそれたまふ事なかれといひしとなり
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蒙求に晋書を引いて伝あり 王ホウが父は名は儀といへり 魏文帝の司馬となりてありしが 文帝に殺されたり 王ホウそれより西に向ひて坐せず 朝廷に臣たらずといひて父の墓の側に家居して教授を(もって?)業とす 旦夕墓に向ひて泣きけるにより 墓所の柏樹ために枯れたりとぞ 王ホウ詩の「哀々たる父母我を生て劬労す」といへるを読むにいたりて 涙を流さざる事なし 門人是によりて蓼莪の篇をよまざりしとなり
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母の雷をきひておそれしが氷魂とたましゐ夜台のよみぢへやどりてのち雷のふるふ毎に墓に行て 千遍はかりめぐりてなげきしとなり 阿香は続捜神記に見ゆ 雷の車を推す故事なり
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劬労とは「からだを使い減らして疲れきる」という意味だそうです。