二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

書籍/廿四孝(渓斎英泉)・6 董永

6人目は董永。二人は槐の木の下で出会い、そして槐の木の下でお別れしたのですね。

画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 

董永

後漢の董永 字を延年といふ
家貧窮にしておさなき時母におくれ父とし老て
足たたず 車にのせて田のあぜの
すずしき所へつれゆきおきて やしなひながら
その身は人にやとはれ わづかのちんせんをとりて
孝行をつくしける
父死して葬ることあたはず
日々やとはるる主人にわが一生の身を
かき入れ(借金のカタ)となし
銭をかりてそうれいをいとなみけり
さて銭をかりたる家にいたらんとせし道にて
一人の美女にあふ かの人董永がつまにならんといふ
董永は田宅もなく今身をうりたる家にゆくことなれば
再三いなみけれどもきかず
ぜひなくともなひて主人の家にいたり
くはしくことのわけをつげければ主人いふやう
汝が妻縑(きぬ)三百疋おりたらば ゆるしいとまをとらすべしとなり
かの女ひと月にみたざるにきぬ三百疋を織はたしければ
かりたる銭のおひめもすみて夫婦いとまをもらひけり

詩曰
葬父貸方兄 天妃陌上迎
織縑償債主 孝感盡知名

方兄は銭の異名なり 人したしむこと兄弟のごとしといへばなり

〇斯て二人うちつれてかへるに はじめ逢しえんじゅの木のもとにいたりければ
かの女董永にいふやう われは天上のおりひめなり
なんぢが孝心をかんじて仮に下界にくだりて助力せしなりといひ捨
虚空はるかにとびさりけるとなん

〇董永が事は漢書といへるふみにも日記故事蒙求等にものせたれども
何れも大同小異なり