笠と荷物を脇に置いて、母と再会する朱壽昌。
画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより
朱壽昌
宋の朱壽昌は天長の代の人なり 父は雍州の守護となる
寿昌が母はりう氏のむすめなり 本妻の妬みつよきがゆゑに
止ことを得ず寿昌が七才のときこれをのこして
他のいへにかしづきたり
寿昌せい長して神宗帝につかへけれども
産の母をしらずして一日も孝養なさざるを嘆き悲み
官禄をすてて母をたづねに出
つひに秦の国にてたづねあたる
その時母の年七十にあまれり
たがひに涙をながし歓びて孝をつくしつかへけり
此事神宗帝にそうもんするものありて
ゑいかん斜めならず官をすてし罪をゆるし
母子とも都にめされもとのごとく官禄を給はりけり
至孝の徳 賞するにあまりあり 是神宗皇帝熙寧年中のことなり
詩曰
七歳生離母 参商五十年
一朝相見面 喜氣動皇天
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本妻の妬みを受けて、朱壽昌の母親は7歳の朱壽昌を置いて家を出たんですね。おそらく朱壽昌のお母さんのほうが美人だったんでしょうねー。そして本妻の子供は朱壽昌に比べて出来が悪かったんでしょうねー。