二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

書籍/御伽草子 二十四孝・19 庾 黔婁

庾 黔婁。

国立国会図書館デジタルコレクションより

庾 黔婁
到縣未旬日 椿庭遘疾深
願将身代死 北望啓憂心
庾黔婁は。南亭(正しくは南斉?)の時の人也 
孱陵といふところの官人になりて。すなはち孱陵県へ至りけるが。
いまた十日にもならざるに。たちまちにむなさわはぎしけるほどに。
父のやみたまふかとおもひ。官を捨てかへりければ。あんのごとく大にやめり。
黔婁。醫師によしあしをとひければ。いし。びやうしやの糞をなめてみるに。
あまくにがからばよかるべしとかたりければ。黔婁やすき事なりとてなめて
みければ。あぢはひよからざりけるほどに。しせんことをかなしみ。ほくとの
ほしにいのりをかけて。身がはりにたたんことをいのりたるとなり

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意味のよくわからない「あまくにがからばよかるべし」については書籍/二十四孝 中野市右衛門 19庾 黔婁をご参照ください。

 

祭壇をこしらえて祈る庾黔婁。

 

空には北斗七星。庾黔婁の祈りは聞き届けられ、父親は快復します。

書籍/御伽草子 二十四孝・18 蔡順

盗賊に自分の親孝行ぶりをアピールしたら、盗賊からご褒美を貰ってしまった蔡順。

国立国会図書館デジタルコレクションより

蔡順
黒椹奉親闈 啼飢涙満衣
赤眉知孝順 牛米贈君帰
蔡順は汝南といふところの人也。王莽といへる人の時分の末に
天下大に乱。又飢饉して。食事に乏しければ。母のために。
くはのみをひろひけるが。熟したると熟せざるとを分たり。
此とき世のみだれにより。人をころしはぎとりなどする者ども
来て。蔡順に問様は。なにとて二色にひろひ分けるぞといひければ。
蔡順ひとりの母をもてるが。この熟したるは母にあたへ。
未(いまだ)熟せざるは。我ためなりと語りければ。心づよきふ道(不道)
のものなれども。かれが孝をかんじて。米二斗と。牛のあし一つあたへて
さりけり。
その米と牛のももとを。母にあたへ。またみづからもつねに食すれ共。
一期のあひだつきずしてありたると也。これかうかうのしるしなり

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二つの籠の前には盗賊から貰った牛の足。

お米は見当たらないですね。

 

千手院観音堂の蔡順。米俵がありますね。米俵と蔡順のカゴの間にあるグレーの物体が牛の肉のようです。今度写真撮り直してきます。

書籍/御伽草子 二十四孝・17 剡子

鹿の扮装をして山中にいたため、猟師に殺されそうになった剡子。

国立国会図書館デジタルコレクションより

剡子(ぜんし)
老親思鹿乳 身掛褐毛衣
若不高聲語 山中帯箭皈
剡子は親のために。命を捨んとしける程の。孝行成人なり。
其故は、父母老てともに両眼を煩し程に。めの薬なるとて。
鹿の乳をのぞめり。剡子もとより孝なる者なれば。おやの望をかなへ
たく思ひ。すなはち鹿のかわをきて。あまたむらがりたる鹿の中へ
まぎれ入侍れば。猟人これをみて。実の鹿そと心得て。弓にていんと
しけり。
其時剡子。是は実の鹿にはあらず。剡子と云者成が。親の望をかなへ度
思ひ。偽て鹿のかたちとなれると。こゑをあげて云ければ。猟人驚て
其故を問ば。ありすがたを語る。されば孝行の志深故に、矢をのがれて
帰たり。抑(そもそも)人として鹿の乳を求ればとて。いかでか得さすべき
なれ共思ひ入たる孝行の。おもひやられてあはれなり

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「ちょっと待った」のポーズ。

鹿だ!と思ったら人間じゃん!紛らわしい奴め!!と憤慨してそうな三人。

 

滑河観音の剡子。左端に剡子。猟師三人と犬がいます。

 

宝登山神社の剡子。鹿皮を着たおじさんは怪しい人物にしか見えない。

 

書籍/御伽草子 二十四孝・16 朱寿昌

妻子を捨てて生みの母に会いに行った朱寿昌。

国立国会図書館デジタルコレクションより

朱寿昌

七歳生離母 参商五十年
一朝相見面 喜気動皇天
朱寿昌は。七さいのとき。ちちそのははをさりけり。
さればそのははをよくしらざりければ。此ことをなげき侍べれども。
ついにあはざること五十ねんにをよべり。
あるとき寿昌官人なりといへども。官禄をもすて。妻子をもすて。
秦といふところへたづねにゆきけるとて。母にあはせて給へとて。
みづから身より血をいだして。きやう(経)をかきててんたう(天道)へ
のりをかけて。たづねたれば。
こころざしのふかきゆへについにたづねあへるとなり

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老母は童子が移動介助。

朱寿昌の脇には旅の荷物。

 

大杉神社の朱寿昌。

 

書籍/御伽草子 二十四孝・15 郭巨

貧しい暮らしの中、老母が自分の食事を孫に分け与えているのが気の毒だから、という理由で我が子を殺害しようとした郭巨。

国立国会図書館デジタルコレクションより

郭巨

貧乏思供給 埋児願母存
黄金天所賜 光彩照寒門
郭巨は。河内と云所の人也。いゑ貧して母を養へり。
妻一子を生て。三歳になれり。郭巨が老母。彼孫をいつくしみ。
わが食事を分与けり。或時郭巨つまに語様は。
貧ければ。母の食事さへ心に不足と思ひしに。其内を分て孫に給はれば。
乏かるべし。是偏にわがこの有し故也。所詮汝とふうふたらば。
子二度有べし。母は二度有べからず。とかく此子を埋(うづみ)て母を能養度思ふ也と。
夫婦云ければ。つまもさすがかなしく思へ共。夫のめいにたがはず。
彼三歳の児を引つれて。埋に行侍る。則郭巨涙を押(をさへ)て。
少掘たれば。黄金のかまを掘出せり。其釜にふしきの文字すはれり。
其文に曰。天賜孝子郭巨 (官)不得奪民不得取と云々
此心は。天道より郭巨に給程に。余人取べからずと也。
則其釜をえて喜。児を埋ず。友に帰。母に弥(いよいよ)孝行をつくせるとなり

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ちょっといつもの郭巨の釜とは趣が違います。蓋がついてます。

埋められそうになった子どもは三歳ということですが、小さくてまるで生まれたばかりのように見えますね。

 

船橋市二宮神社の郭巨。釜が蓋付き。

 

宝登山神社の郭巨。彫刻ではこういう形の蓋無しの釜が多いですね。

 

 

書籍/御伽草子 二十四孝・14 王裒

亡き母を雷から守ろうとする王裒。

国立国会図書館デジタルコレクションより

王裒

慈母怕聞雷 氷魂宿夜臺
阿香時一震 到墓遶千廻
王裒は営陰といふ所の人也。
ちちの王義。ふりよのことによりて。帝王よりはつと(法度)に
をこなはれ。死するを恨みて。一期のあひだその方へはむかふて。
座せざりしなり。
父の墓所にゐて。ひざまづき礼拝して。かしはの木に取付てなきかなしむ程に。
涙かかりて木も枯たると也。
母は平生かみなりをおそれたる人なりければ。母むなしくなれる後にも。
らいでんのしける折には。いそぎ母の墓所へゆき。王裒これにありとて
はかをめぐり。死したる母にちからをそへたり 
かやうにししてのちまでかうかうをなしけるをもつて
いける時のかうかうまで。をしはかられて有がたき事どもなり

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雷神と言えばこの出で立ちですね。雷神の太鼓を「雷鼓」というそうです。繋がっている太鼓は「連鼓」というそうです。この雷鼓は一つずつ音が違うんでしょうかね。

 

「到墓遶千廻」というのはお墓に行って、母を勇気づけるために墓のまわりをぐるぐる回った、ということですね。親孝行も一歩間違えると変な人。

書籍/御伽草子 二十四孝・13 黄香

布団を仰いで涼しくしている黄香。

国立国会図書館デジタルコレクションより

黄香
冬月温衾煖 夏天扇枕涼
児童知子職 千古一黄香
黄香は。安陵といふ所の人也。九歳のとき母にをくれ。父に能くつかへて。
ちからをつくせり。されば夏のきはめてあつき折には。まくらや座をあふひで
すずしめて。又ふゆのいたつてさむき時には。ふすまのつめたきことをかなしんで。わが身をもつてあたためてあたへたり。


かやうにかうかうなるとて太守劉讙といひし人。ふだをたてて。かれがかうかうをほめたるほどに。それよりして人みな黄香こそかうかう第一の人なりとしりたるとなり

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「田」の字柄の服着てますね。

 

このお父さんは杖をついていません。彫刻では杖をついていることが多いです。

これから寝るというのに、なんでわざわざ室内から外へ出されるんだろう。