二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

漢土二十四孝伝・20 江革(こうかく)

江革後漢の世の人なり。幼くして父に離れ家貧しふして母に仕へ孝をなすを{ふし}(「をふし(折節)」の「り」が消えたのでしょうか?)戦国なれば母を車に乗せて脇の国へ逃げゆくところに盗人江革を見て連れ行かんとす。江革悲しみて云ふ様、我ここに老母あり。頼るかたなければ離れ難き由を詫ぶる。
さすが無頼の{ごうどう}なれども孝子の心に感じてや、その言葉を聞き入れて放せしかば下ヒ(かひ)といふところに至り家を求めその身は人に雇はれ、身にまとふものもなく足に履くべき靴さへなけれど親のために身を惜しまず僅かなる賃銭を{繰りて}まめやかに養ひ仕へしかば{ひ(  )}感涙せざるはなかりき。

古語に曰く、「百行のうち親孝行を本(もと)とす」といへればもの行ひのうち親に仕ゆるを第一の誉れと聖賢も云ひおきぬれば、孝行をなすほどのものならば主人に仕へても忠ならずといふことなく、ともに交はりても義あり、信あり。また女子は夫、舅に仕へても貞実な{ら}ずといふことなし。

忠臣は孝子の門に出づるとはこの義なり。深く味はひて孝行をなしたまへ。古歌に「無二膏や 万能膏の 奇特より 親孝行は 何につけても」
また忠孝は車の両輪の如しといへり。ナント子供衆、合点か合点か。
―――
【あらすじ】
江革はよく母親に仕へました。自分の国で戦いが起きていたので他の国へ母親を連れて逃げる途中、盗人に襲われ、江革だけさらわれそうになりましたが、江革は年老いた母親を置いていけないと訴えたところ、盗賊も親孝行な江革に感動し、見逃してくれました。その後江革は人に雇われ母親を養い、貧しくても母の身の回りには不自由のないよう尽くしました。

―――
モチーフ。
1.車を引く江革
2.母
3.盗賊
―――
車を使わず、江革が母を背負って歩くシーンの挿絵も見かけます。