二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

書籍/廿四孝(渓斎英泉)・24 仲由

今日は仲由。当ブログで、江革と並んで記事が少ない孝子。敵に討たれた最期、そのあとが痛ましすぎる人。

画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 

仲由
仲由は周の代の人 孔子の弟子にてあざなを子路又季路といへり
孔門にいらざるまへは勇力をこのみしが孔子にしたがひ先非を
あらためたり 家貧にしてつねに食とぼしく人にやとはれ
米を百里の外におひゆき そのちんせんをもつて母をやしなふ
孝志のふかきめぐみにや親死してのち楚国の政務をあづかり
百乗の車をしたがへ米穀万鐘をつみ しとねをかさね かなへをならべ
よき身のうへとはなりけり
此とき子路たんじていふやう今おやのいのちありて
孝を尽しなば これほどにあらずとも いかばかりよろこび給ふらん
わが身しょくにとぼしく あかざをくらひ こめを
とほきにせおひてまづしかりしも かかるふうきとはなりながら
今やしなふべきふたおやいまさず
なんのたのしみかあらんとてなげきかなしみけるとなん

〇鐘(しやう)とは舛目六斛四斗なり
又八斛とも云 万鐘といふときは その数量広大なることをしるべし

詩曰
負米供甘旨 寧辞百里
身栄親已没 猶意旧劬労
 
此草紙は異朝の孝行に勝れたる人を文章にかき
詩一絶を誌して二十四章孝行録と題(なづけ)
古く世に伝へたるものあるを其本文を省略し
雅(稚?)き女児の為に絵草紙となししもの也
俗に二十四孝と云 しかれとも其伝説に異同あり
江革と仲由とを省て別に張孝兄弟田真兄弟の事を
しるせるもあり
倶に伝へきたりて何れか是非をしらず故に巻末に
しるして二十四孝の別伝となすのみ

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