二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

漢土二十四孝伝・7 董永(とうえい)


董永後漢の人なり。幼きとき母に別れ一人の父に仕へて孝なり。家極めて貧しければその身人に雇はれ、いささかの賃銭を取りて父に孝行を尽くしけるが、父死して葬ることあたはず、董永はこれを嘆きある。富たる人に銭千貫文を借りて葬りらんとす。かの者申しけるは、我が家の*僕(ぼく)に来たれといふ。

董永、彼の者の云ふに任せ父を葬りはててのち菩提所より帰る道すがら、心に嘆きて、我家貧しく父を葬ることなりがたき為とは言いながら一日の喪をも見ずして奉公にいづるぞはかなけれと、ただ一人つぶやく(折から?)道に一人の美女に会ふ。
かの女董永に向かって君の妻とならんといふ。董永驚いて曰く我今父死して葬りの帰り道なり。かかれば妻を迎ふること思ひもよらず、と行かんとするを、かの女申しけるは疾くより知りてはんべるなり。(さみしゆうとり)したまひてより、かの主人のいひつくること、その身一人の業にてはなかなかに果たしがたし故にともどもその業を助け申したし。是非に連れたまへ言ひければ董永黙しがたく、それよりかの女を伴ひ二人して銭を借りたる人のもとへいたりけるに、先の主人董永が女を連れ来るを訝しみ問ひければ、董永ありのままに物語りければ主人はいと不興げにて言ひけるやう、汝父(死し?)て葬ることもかなはざる故、我不憫に思ひ銭を貸し与へ、返すこともなるまじと思ふ故に( )僕にしてつかはんと思ひしに、是非なきとて妻を娶り来たることのあるべきや、と怒りけるを二人りしてして(さまざま?)と詫びなだめければ主人ようやく怒りを静め、さらばかの女、絹三百疋を織りたらば許すべしとなり。
かの女の言ひしに違はず、難題を言ひかけられけるゆえ董永心にこれを嘆くとも女は少しも恐るる色なく1ヶ月の間に三百疋の絹を織り上げるにぞ主人不思議に思ひ*奴に(す?)ることを許したる故に夫婦暇を乞ひて我が家に帰る道にてかの女董永に( )ちむかひ我は天上の織姫なり。天、汝が孝心なるを感じたまひけりに天下りて汝(の)孝心を助けしむるなりと言ひていづこともなく飛び(さ)りしとなり。

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【あらすじ】
親孝行だけれど貧しい董永の負った借金を、天女が絹織物を織って返済してくれました。


*僕(ぼく)と奴(やっこ)の違いがよくわかりませんが、同じ下男でも「僕(ぼく)」は住み込み、「奴(やっこ)」は通い、ってことなんでしょうか。それにしても「董永」のページ、文章多すぎない・・・?

*反物の単位 1疋=2反≒24m 一ヶ月で300疋織った、ということなので一日に約10疋織ったんですね。長さで240メートルくらいですか。10時間労働として、1時間に24メートル。1分間で40センチ。織るの早っ!!さすが織姫!


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・捜神記(平凡社ライブラリー) No.28「董永とその妻」
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モチーフは
1.董永
2.天女
3.天女の織った反物
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