晋の時孟宗といひし人 字を恭武といへり 後に名を仁とかへたり おさなきより父なくみなしごとなりてあり 母としをいて やまひにおかされけるが 冬月笋を煮てくらはんとてのぞむ
孟宗笋を得るにせんすべなし すなはち竹の林にわけ入て 竹を手にいだきて泣ける孝心を 天地の神祇のかんじたまひて しばしのうちに地裂けわれて たけのこあまた出たり 持てかへりあつものとなし 母にたてまつる 母笋をくひ終てのち やまひすみやかにいえたると也
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涙とは寒涼のかたちなり 朔風と冬の風か吹て寒しとなり 蕭々とはものさびしきさまなり 数竿とは竹の林也 しばし有て笋のおひ出たるは天のめぐみにて 母のやまひいえて平安とたいらかになりしも孝にめぐみむくひたまふ 天のみこころなりとなり