二十四孝に会いに行く!

中国の親孝行な人たち・二十四孝に関するものを紹介していきます。

書籍/廿四孝(渓斎英泉)・3 孟宗

三人目は孟宗。天に向かって泣く・・・というわけではなく、腕組して何やら考えてる風情。「やってらんねー。寒いし。もう帰ろっかな」と考えてるのかしら。

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「タケノコ5~6本はえてきた」シーンでしょうか。気づいて、孟宗。

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画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 

孟宗

晋の孟宗のちに孟仁といふ 字を恭武と号す 江夏といふ所の人なり
三国の頃より晋の代までを経たり 
若き時より李粛といふものにしたがひ 学問を究(きはむ)
つねに孝行をよくつとむ
晋の武帝の時 監池司馬とていけすの魚を守る奉行の官となれり
孟宗池の魚をとり すしにつくり 母の方へおくりしが
母これをうけず 汝魚を守る役として魚をおくること 他のきこへ
いかがなり かさねて無益なりとて 大いに戒けり 
孟宗幼き時父におくれ 孤(みなしご)となり母は老衰して つねに
やまひにおかされ 冬のさむきころ 笋の羹をくはんといへり
寒天万物根に帰し蔵(かく)るる厳凝(げんぎょう=寒冷)の時なれば
笋のあるべきいはれなし
孟宗は母の望みをかなへて喰させんと
竹林にいたり 天に祈り泣かなしむ
かかる誠厚を天も感応ありけん
時ならず笋五六本生いでたり
孟宗よろこび是をとりて母にそなへければ
喰してのち病もたちまちいゑけり

詩曰
涙滴朔風寒 蕭蕭竹數竿
須臾春笋出 天意報平安

〇孟宗は呉の孫皓(そんこう)といふ人につかへて
司空として三公の一つなる高官にのほりけり
孝の徳大いなることかくのごとし

〇楚国先賢傳蒙求にものせたり 泣竹生笋といへる
本文に雪中のことは見えず されども 雪を画て
厳寒のおもむきをしらしむるは はじめえがきしものの
心をえたる巧なり

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本文前半は、孟宗が池の魚を管理する仕事についていたとき、池の魚を捕って母親に食べさせたら、喜んでもらえず逆に母親に叱られた、というエピソード。業務上横領ですわね。