二番目は漢文帝。お世話をする女性がたくさん。この中に奥さんはいるのかしら。みんな侍女かしら。
薄太后の右側の女性はひざをついて扇で太后に風を送っています。
画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより
漢文帝
前漢の文帝と申すは前漢の代第四代の賢君なり
諱をば恒と申ける
高祖第二番目の太子にて いまた天子にたたせ給はざりし時
代といふ所の諸侯王になり給ふ
文帝を生産給ひし母堂を薄太后と申ける
太后とは天子の母君をいふ言葉なり
文帝つねに母の太后に美食をすすめ給ふにも
みづからこころみて そなへ給ふこと懈怠なし
母君三年があいだやまひになやみ給ふといへども
文帝孝心あつきゆゑに
かかるひさしきあいだといへども
帯もとかず いね(寝ね)もし給はず
ゆをすすめ薬をささげ給ふにも
まづそのあつきぬるきをこころみ給はざれは
母ぎみにそなへ給はず
かかるふかき孝心をつみ給ふゆへ その名天下にきこへ給へり
兄弟もあまたおはしけれども
此みかどほど仁義をおこなひ孝行なるはなかりけり
故に陳平周勃などいへる臣下
帝位につかしめ漢の文帝とあほぎしなり
孝の道は上天子より下庶人にいたるまであるべきつねの道ながら
かかるおん身にしては行ひなりがたきに実(げに)たつとかりし事なりき
詩曰
仁孝臨天下 巍々冠百王
漢廷事賢母 湯薬必親嘗
ーーー