孟宗(もうそう)
孟宗。 黄色部分がタケノコ。中心の人物が孟宗ですね。竹の葉の上に雪が積もっているのがわかりますが、孟宗の腕の様子がよくわかりません。破損があるんでしょうか。ところどころ折れてる部分もあるようです。 (2016年12月撮影)
孟宗。 何度見てもボトルワインに見えてしまう。 (2017年月撮影)
孟宗。「冒寒尋筍」・・・寒さを冒(おか)して筍を尋ぬ、って読むのかな。孟宗の四文字熟語でこれは初めて見ました。「泣竹生笋」が多いです。 筍がたくさん生えてきてます。 雪の降る中、笠をかぶって鍬でタケノコを掘る姿が多い孟宗ですが、この切手では…
孟宗。タケノコは黄金色に輝いてますね。孟宗の足元にあるのはタケノコ用の籠かな。
孟宗。 三嶋大社の解説画像(舞殿「西面 右」の彫刻)を見ると、孟宗は肩に乗せた鍬の柄にタケノコ2本をぶらさげているようです。収穫して家に帰るところのようです。
孟宗。奥の建物は孟宗の家でしょうね。タケノコを食べたくなったお母さんが孟宗の帰りを待ってます。真冬なのに。 手と鍬の柄が破損してます。両手で柄を持っていたものと思われます。 タケノコ二つ出てきてますね。
孟宗。ニョキニョキ生えてるタケノコはどこ?と探したら、すでに肩に背負ってました。家に向かって帰るところなのね。孟宗の視線は山のふもとの家を見ている、ということで。でもやっぱり主役の顔が見えないのは何か物足りないわね。
残念な写真ですみません。いずれリベンジ撮影してきます。 竹林で笠をかぶった男性ということで「孟宗」。
中央の彫刻は孟宗です。 タケノコがはえてきたので浮かれてる孟宗。 「孟宗」は「竹に泣いて笋(たかんな)を生ず」という言葉で表されます。浮かれる直前に孟宗は「真冬にタケノコなんてあるわけないじゃん」とオンオン泣いてました。「病床の母親にタケノ…
病床の母親が「タケノコ食べたい」と言うので孟宗は真冬の竹林へ。すると奇跡が起きてタケノコがはえてきました。 白いところは積もった雪です。緑は葉っぱです。高齢の母親は意地悪して孟宗に季節外れの食材を求める無理を言ったわけではなく、病気のために…
右側の彫刻です。 タケノコ!タケノコがあるから孟宗!筍の右手に笠をかぶった人がいるのはわかるけれど、手足がどのようになってるのかわかんない。
こちらの彫刻は左3分の一が孟宗、右側が楊香。 孟宗のいる場所は雪が積もってます。タイトル画像の孟宗(飯綱神社)はタケノコを見つけてニコニコ顔ですが、寳登山の孟宗は冷めてる感じ。
病床の母親のために真冬にタケノコを掘りに行った孟宗。 ここはきっと孟宗の家。「タケノコなんて、この時期あるわけないよね」と思いながら竹林へ向かったんでしょうね。 孟宗、タケノコを縛ってます。左手の紐は欠損していますが、手の動きで紐を引き締め…
愛おしそうにタケノコを眺める孟宗。 右の小さいタケノコ(竹3本の根元の)は落っこちそうになってるような気がする。
タケノコ掘りしている孟宗。
真冬にタケノコを掘り出す男性は孟宗。肩や背中の白い部分は雪が積もってるところでしょうね。
モコモコしているのは雪でしょうね。簡単でいいので彫刻を模写して着色した解説版があるとわかりやすいでしょうね。初夏に厚着してタケノコ掘りしていると誤解されたら孟宗気の毒。
半裸の王祥に比べて孟宗は暖かそうな服装で安心。
2.孟宗 母のために真冬にタケノコ収穫に出かけた孟宗。季節外れにタケノコがあるはずもなく竹林で泣いているとタケノコ出現。 丸の中のタケノコは先が破損しているものと思われます。二本ニョキニョキ出てきたんでしょうね。
晋の時孟宗といひし人 字を恭武といへり 後に名を仁とかへたり おさなきより父なくみなしごとなりてあり 母としをいて やまひにおかされけるが 冬月笋を煮てくらはんとてのぞむ 孟宗笋を得るにせんすべなし すなはち竹の林にわけ入て 竹を手にいだきて泣ける…
孟宗 泣竹生笋「竹に泣いて笋(たかんな)を生ず」 孟宗は幼くして父におくれ 一人の母を養へり 母年老いて常に病みいたはり 食の味はひもたびごとかはりければ よしなき物を望めり 冬のことなるに 竹の子をほしく思へり すなはち孟宗竹林に行き もとむると…
孟宗 泣竹生笋 「竹に泣いて笋(たかんな)を生ず」呉の孟仁 もとの名を宗といひしに 孫皎(そんこう)に仕へて 司空となれり この人の母 極めて賢女なりしとなり しかるにあるとき 老病の熱に冒され しきりに たけのこを望みきこえける 孟宗もとより 孝心深…
孟宗哭竹中 深雪中抜筍 ”孟宗 竹中に哭(なげい)て 深雪の中に筍を抜く” 晋張方楚国先賢伝(しんのちょうほうがそこくせんけんでん)にみへたり孟宗が母、笋(たかんな)を好きこのめり。母の死してのちに、日ごろ好かれたるものにて祀らんと思へども、時い…
孟宗は晋(しん)の世、呉の国、江夏(こうか)といふところの人なり。をさなきとき李粛(りしゅく)といへる人に従ひ学問を修行し父に早く別れ、一人の母を養ひて孝心深く晋の武王に仕えて奉行の官たり。その母老病に冒され食の味わひも三度に変はりけるほ…