母を背負って戦場から避難の途中、賊に襲われる江革。中国古代二十四孝全図、これまでのところ絵を見れば孝子の誰なのか、すぐにわかりますね。日本の書籍の絵と大きく違うこともありません。
画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより
To Work as a Servant to Support His Mother
Kiang Ko of the later Han dynasty was
while very young, left an orphan by the death
of his father. He lived with his mother alone.
At that time there was a rebellion which forced
him to carry her on his back and refuge some
where else.
On the way they several times came across
the insurgents, who wanted to carry him away
with taem(them?). Upon his weeping imploration that
he had an aged mother, the rebels codul(could?) not bear
to hill(kill?) him.
After that the widaw(widow?) and her son went to
lodge themselves at Hsia Pai, where driven by
poverty he lived naked and barefooted, and
begin to wark as a servant in several places.
Thus he was able to procure for his inother(mother?)
every sort of daily necessities.
rebellion・・・反乱
come across・・・出くわす
insurgents・・・反乱軍の兵士たち
imploration・・・懇願、哀願
rebel・・・反乱軍兵士
procure・・・手に入れる
daily necessities・・・日用品、生活必需品
母を養うために下働きをすること(行傭供親)
後漢の江革は幼くして父を失い、孤児となりました。彼は母親と二人で暮らしていました。
その頃、反乱があり、彼は母親を背負ってどこかへ避難することを余儀なくされました。途中、何度も反乱軍に出くわし、連れて行こうとされました。
その際、「老いた母がいる」と泣きながら訴えたので、謀反人たちは彼を殺すに忍びなかったのでした。
その後、寡婦とその息子は下邳に身を寄せましたが、貧しさに追い込まれた彼は服も着ず裸足で暮らし、いくつかの場所で召使として働きはじめました。
こうして彼は母のためにあらゆる生活必需品を調達することができました。
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毎回数か所タイプミスと思われる単語があり、悩まされます。漢文と対照しながら推測してます。