黄金の釜を手にした郭巨。「子どもを埋めようとして釜を見つけた」、なんて人に言わなければ後世まで伝わらなかったのにね。我が子より親を優先する、というところが美しい親孝行だというポイントだったわけね。
ARC古典籍ポータルデータベースより
郭巨
字は文挙 阿南といふ處の人なり。家まつしくて。母に孝行つくせり。
三つになる子を持けり 郭巨が母此孫をかはゆがり。我食物を。わけて。
あたへけり
郭巨妻にかたりて。母の食さへおもふほとになきを。また其内を分給へは。
さぞ。とぼしからん
所詮。我子の有ゆへなり。ふうふの。ゑむ(縁)。くちせずは。子はまたあるべし。
母は二度あるべからずとて。既(すでに)子を埋まんとす 郭巨さずが。おんあいの。
かなしさに泪をながし。ほりける處に。土の下より光さしけり。
なをほりてみるに金の釜なり 引上れは。銘あり。天孝子の郭巨に給ふ
官うはふ事をえざれ 民取事を。えざれと書り。これによりて子をうつまざると也
貧乏思供給 埋児願母存
黄金天所賜 光彩照寒門
貧乏にして供給せん事をおもひとは
貧はまづしく乏はとぼしきといふ文字也 供給せんことをおもひとは
母におもふほと食をあたへ度との心也。
子を埋て。母の存せる事を願とは。存は存在との。つづき文字にて。
此世に母を。いつ迄もあらせたくねかふとの事也。
黄金天より給ふ所とは。天道。郭巨が。我子をころして成とも
母をやしなひたくおもふ心を。かんじて。金の釜をあたへ給ふとの
義也。
光彩寒門を照とは。寒門は。さむき家といふ心也
然とも今天より金釜給り。其光か。賤しき家を。てらし。
富貴の身と成しの事也 これかうかうのきどく也
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実際は「奥さんが台所の生ゴミ埋めようとして庭を掘ってたら釜が出てきた」のかもしれない。
千手院観音堂の郭巨。