丁蘭は後漢の世の人なり。幼きとき二親に離れ孝を持って養ひ仕ふることなきを嘆き、母は胎内の苦しみあり、父には養育の重き恩あり。我、この恩を報ぜざらんやとて父母の姿を木もて作りなし朝夕生ける人に仕ふるごとく孝行を尽くしけるに、あるとき丁蘭が妻なるもの誤って木像の面を焦がしけるにできもののごとく腫れて膿流れいでたり。
そのとき丁蘭が妻の髪の毛たちまちに抜けたり。丁蘭これぞ木像の罰ならめと、その妻に仰せて三年の間妻に詫び言を申しつけければ或る夜雨風激しき折から木像自らうちかへりしとなり。それよりして丁蘭が妻の髪の毛も自づからはへ{ }となりこれも{ }なりといふとも丁蘭が心ざし深きによりて父母の魂のりうつりたるなるべしと人々その孝心を感じける。
また一説に丁蘭が妻木像を敬ふ心なきものから、かへってあざけりてあるとき夫の留守におもひけるは、かかる像に食物を供へたりとて食することもあらず。これ何の益かあらんとて日頃食物の世話を面倒とや思ひけん、持つたる針にて木像の指を力任せに刺しければ血潮はこんこんと流れ出でたり。
かかる折から夫丁蘭ほかより帰り来たりしかば妻は驚き慌てて血潮をふきかくし知らぬふりして居たり様子を丁蘭いぶかしと見て
(ここから左のページの下段の文章になりますが、印刷が下の1−3段スパっと消えて読めません)
何事( )したりしぞと( )ければつま( )さりげなくこ( )にぞ丁蘭( )そのままに( ) まりけるが やらむなさ( )と おだ( )ならず その( )はやく( )ふしけるゆめ( )母の木像( )あらはれい( )ありし( )丁蘭に( )ければ 丁蘭い( )驚き( )かつつまのよ( )いかり( )またでその( )たりとかた(り)つたへたるもあり。
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【あらすじ】
丁蘭は早くに両親と別れ親孝行できなかったので、親の木像を作って、生きている人のように孝行を尽くしました。夫の尽くしっぷりが気に入らない妻が像の顔を焦がしたところ、像から膿が流れ、さらに妻の髪の毛は抜けてしまいました。そこで丁蘭は像を別の場所に移動し(移動させたこと、この本文には書いてないですね)、そこで妻に毎日詫びさせました。すると3年後木像は自分で家に帰り、妻の髪の毛も再び生えてきました。
もう一説では、妻が針で木像の指を刺したところ、血潮があふれてきて帰宅した丁蘭に怪しまれ・・・。そのあとは欠落部分を推測するに、妻はごまかしたけれど、その夜丁蘭の夢に母親が現れて妻の所業をチクったので、丁蘭は妻に何らかの罰を与えたようですね。
丁蘭さんは女性の名前かと思ったらご主人のほうでした。挿絵の丁蘭は木像に恭しい態度。一方奥さんはソッポ向いてますね。
旦那が留守の時まで木像にご飯のお供えするの面倒だわ〜。針で刺しちゃえ〜って、奥さん相当ストレスたまってたようですね。
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【追記】母親の像を焦がした妻に対して、丁蘭が3年間詫びさせた下りについて。中国語のサイトの丁蘭に関する文章で、下記のものがありました(抜粋)。
「蘭移母大道,使妻從服,三年拜服。一夜,忽如風雨,而母自還」
私は中国語はさっぱりわかりませんが、字面から予想するに
「丁蘭は母親の像を大通りに移した。妻が3年お詫びに通うと、或夜突如雨風が激しくなり、母の像は自ら帰って来た」という意味でしょうね。
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必須モチーフ。
1.丁蘭
2.丁蘭の妻
3.木像(仏壇みたいな場所に安置されてて、丁蘭夫婦と比べると小さい)
4.食物
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