画像は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より
内容:
・丁蘭は15歳の時母と死に別れた。
・母の木像を作り、生きている人に仕えるようにふるまった。
・ある日丁蘭の妻が火で木像の顔を炙ったところ木像の顔が腫れるわ膿が流れるわ妻の髪の毛がごそっと抜けるわの大ごとになった。
・丁蘭は像を大堂に移し、妻に三年詫びさせると、ある夜雨風激しい中、像は家に戻った。(別の本では「大堂」ではなく「大道」になってます)
・その後はちょっとしたことでも木像の顔色を窺うようになった。
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母親の像を作った、と書かれていますが挿絵ではお父さんの像も並んでますね。
♪♪おまけ♪♪ こちらは日本の二十四孝の一人として掲載されている伴直家主さん。「丁蘭」とクリソツ。でも着物と髪型、像の両親の手の組み方、夫婦のお辞儀の仕方に日本と中国の文化の違いが窺えますね~。
伴直家主(とものあたひ やかぬし)
安房の国あは郡の農民なり 至孝たぐひなく父母おはりてのち
くちに美味をくらはず あらきものをきてなげきくらし 二親の木像をつくらせ朝夕に食事をそなへ敬(うや)まひ 礼を尽くすこと
世にありし日につゆたがはず このことつひに内裏にきこへ位を賜はり 長く年貢をゆるさせたまひぬ
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和製丁蘭ともいえるこちらの方は親孝行の噂が朝廷にまで届き、位を賜って年貢も免除されたとのこと。これは奥さん大喜びですね。
千葉県館山市には伴直家主さんを讃えた立派な「孝子塚」まであるそうです。