二番目は漢文帝。
漢文帝かんのぶんてい
漢文帝は漢の高祖の御子なり。いとけなき御名をば ごう(恒)とぞ申し侍りき。母薄(はく)太后に孝行なり。万の食事を参らせらるる時はまづ自ら聞し召しこころみ給へり。兄弟もあまたましましけれども此の帝ほど仁義を行ひ 孝行なるはなかりけり。
この故に 陳平・周勃などいひける臣下たち 王になし参らせたり それより漢文帝と申侍りき。
しかるに 孝行の道は上一人より下万民まで有べきことなりと知るといへども 身に行ひ心に思ひ入るはなりがたきを 忝くも四百余州の天子の御身として かくの如くの御ことわざは尊かりし御心さしとぞ 去るほどに代もゆたかに民も安く( )けるとなり。
四百余州・・・中国全土のこと。 ことわざ・・・行為。
母親の薄太后に食事か薬か、自ら運ぶ漢文帝。帝としての衣服を緩めることなく母親の介護にあたったということです。
彫刻では「漢文帝」か「丁蘭」かで悩むことがしばしばあります。左上の「翳(さしは)」を持っている女性がいれば「漢文帝」確実。でもスペースの小さい彫刻では残念ながら省略されやすい存在でもあります。
翳・・・長柄の団扇。仰ぐのではなく貴人の顔を隠すためのものらしい。
文末を岩波文庫の「御伽草子」で確認したところ「住みけるとなり」と書いてあった。「す」と「けるとなり」は問題ないけれど、二文字目の「み」が納得いかない。「る」か「つ」で悩んだけれど「み」は想定外。こんな「み」は見たことない。